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また、明治十二年は、年明け早々に、神から、「一つ、医師、法人、方角のこと申すにおよばず。此方のは氏子に信心の道教え、理解だけでよし。」(p145−2)とお知らせがあり、教祖の信仰の方向を、改めて確認させられています。
そういう中で、教祖自身が、正月より体調を崩し、八月まで続きます。持病の痔で日に何度も便所に行ったことや、脱肛のことなど、実に赤裸々に書いてあります。
「一つ、金光大神大便通じ、二十七、八日には、夜日に五度も手水出。いどが出(脱肛)難儀。地合の冷え(持病の痔)が起こり」(p146−3)
「七月二十日ばんより夜、腹下り、朝までに四度ぞうぞう下り。二十二日よし。二十三日治まり。頭痛、熱、おかげで一夜きり」(同−6)
「金光大神、熱、頭痛。腹ぞうぞう下り、四度。宵、朝、七度で治り。二十一日の朝は声がかれ。ご理解あり、おかげで朝のうちに声も治り、通じもとまり。五日ぶりに大用に出、一夜に毒の取りさばきくだされ。食事は、二十日、一日、丸一日違い、二十二日より平食に相成り。五日ぶりに大用に出」。(p149−17)
というような記述が続き、八月には、今度は、目が痛み悪くなられたのですが、生活に差し支えることなく、六日ほどで全快しました。(p149−20)
神は、これらの体調不良も毒の取りさばきだと知らせ、「腹の内に毒あり、おいおいに毒取り。体毒と申すが、腹の内の毒取ること知らんから氏子が難儀するのじゃ。好きな物食べて体の丈夫をつけて、おかげを受け」(p146−3)と安心するよう告げています。
教祖自身も、この病気を、「気分にさわりなし」と喜び、「毒の取りさばきくだされ、ありがたし」と、お礼の中で受けていかれています。この年は、コレラが流行し、家族の者がとても心配しましたが、「よそにはコレラと申す病気はやり、みな心配いたし。此方には神様のおかげ受け」と、神様を信じて身を任せていかれます。
病気に限らず、教祖自らの体験は、展開して人の助かる教えとして普遍化していきますが、この病気を通して、神からは、「天地金乃神、諸事のこと氏子の身上こと、安心のこと。生まれより、体毒、病気、病の取りさばきのこと。あたると思わず、めいめいの好きな物食べて体の丈夫をつけ。おいて持病のさしおこり(発作)と申した時に、毒の取りさばきいたしてやる、……かぜひき、頭痛、熱気、咳つき、大人、子供とも風呂へ入り、ぬくもり、お神酒いただき休み、晴れるように願い。」(p・・・)と、お言葉がありました。
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